「首に縄つけて」発言について(平成30年11月10日)

 10月04日付けのコメント中、「陛下の首に縄をつけて当神社まで引っ張ってくるような」いう文言が一部で話題になっているようです。
 世の中には読解力のない人が意外と多いものだと驚いています。
 もしも私たちがそんな畏れ多いことを企てているとしたら、これはたしかに非難されて当然です。
 しかし、事実は全く逆です。
 小堀前宮司以下私たちは、そういうことは企てていないし考えてもいない、と言っているのです。
 これでどうして非難されなければならないのでしょうか?
 そういうことを企てたほうがいいとでも言うのでしょうか?
 非難する人たちは、私たちにそんな畏れ多いことを企てるべきだとでも、けしかけているのでしょうか?
 また一方では「不敬罪」などという、とっくの昔に廃止された罪状を持ち出して私たちを非難する輩まで出る始末です。ばかばかしくって話になりません。
 いやなら来るな!!
 的外れな非難を加える低レベルな人々に私たちが言える言葉は、それしかありません。
 当神社に参拝に来なければ文句言う必要もないはずでしょう。


  小堀邦夫宮司の退任について職員有志よりコメント(平成30年10月14日)

 当神社の宮司・小堀邦夫氏が退任しました。
 小堀宮司には天皇陛下の行幸をけなすような逆賊的発言があったかのような報道がなされましたが、10月4日に申し上げたとおり、私たちはこれは何かの間違いだと信じています。
 しかし、小堀宮司としては自ら思うところがあって、退く決意をしたものと推察します。
 ただ、少々気になるのは、小堀宮司に対して宮内庁から何らかの圧力があった、ということはないでしょうか?小堀氏が宮内庁に詫びに出向いたという点が、妙に気になります。
 もしもそんな圧力によって退任に追い込まれたとしたら、これは国家権力による宗教弾圧にほかならないと思います。
 今のところ証拠はなく、飽くまで疑義に過ぎません。したがって私たちとしてはこれ以上、追及するつもりはありません。しかし、もしも仮にそのようなことがあったと仮定したら、私たち宗教家としては、極めて遺憾なことだと言わざるを得ません。


  小堀邦夫新宮司の考えについて職員有志よりコメント(平成30年10月04日)

 平成30年3月、当神社の宮司が交代しました。小堀邦夫新宮司です。
 小堀新宮司は、天皇陛下の御親拝のために積極的な人です。
 私たちも職員としても、新宮司と心を合わせ、天皇陛下の御親拝のために尽力してゆく所存です。
 そのためには、もちろん陛下ご自身のご意向が第一です。陛下ご自身に、私たち靖国神社の精神をご理解いただくことが第一です。
 陛下ご自身が参拝に乗り気でいらっしゃらないならば、いかにして参拝する気になっていただくか、いかにして陛下に私たちの考えをご理解いただくようにすべきか、私たちは真剣に考えてゆかねばなりません。それが小堀宮司の言う「戦略」です。
 ただし私たちの宗教的信条まで曲げるつもりはありません。
 「戦犯分祀」だとか「戦没者の冥福を祈る」だとか「先の大戦は間違っていた」などという思想は、仮にそれが陛下のご意向だとしても、従うつもりはありません。
 これを曲げたら靖国神社が靖国神社でなくなってしまうではありませんか。
 それで陛下がお気に召さないとおおせならば、それならそれでしかたないと考えています。
 小堀宮司も、親拝を拒む陛下の首に縄をつけて当神社まで引っ張ってくるような考えは持っていません。陛下のご意向をないがしろにするような考えは毛頭ありません。
 陛下の戦争跡地行幸を批判するかのような報道がなされたようですが、おそらく何かの間違いではないでしょうか。畏れ多くも天皇陛下の行幸をけなすような逆賊的発想は、小堀氏には断じてありえないことを、私たち職員有志は固く信じています。
 小堀邦夫宮司以下私たち靖国神社職員は、天皇陛下のご意向を尊重します。
 私たちの考えをご理解いただけるよう最大限努力はしますが、それでもお気に召さないのであれば、残念ではありますが無理に来ていただこうとは考えません。
 無理矢理来させることを考えるならば、それは逆賊的発想です。
 一方私たちは、自分たちの宗教的信条を曲げるつもりもありません。たとえ陛下のご意向と異なろうとも。
 そして天皇陛下におかせられても、たとえ私たちとお考えを異になさっておられようとも、私たちの宗教的信条を「信教の自由」として尊重してくださるものと信じています。確信しています。







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