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  小堀前宮司の文藝春秋での手記について
(平成30年11月25日)

 小堀前宮司が文藝春秋に手記を寄稿しました。
 その中に、靖国神社が怨霊信仰であるかのごとき記述がありました。以下引用します。
 「祭神となられた方は、誰も天寿を全うしていません。どの方も死に際には、叫び、わめき、嘆き、あるいは一瞬で亡くなっています。どれだけ恨みを呑んで亡くなられたかわからない。だから祟ることがないように、どうか永遠のお宮として靖国神社に安らかにお鎮まりくださいとお祭りを続けてきました。」(文藝春秋平成30年12月号96頁)

 結論から申しますと、これは完全な誤りです。靖国神社はそのような神社ではありません。おそらく更に前の宮司の徳川元宮司から、きちんと引き継ぎがなされていなかったものと推察されます。
 もちろん宮司は神社の最高権力者ですから、小堀前宮司の責任において、祭神の意義を変更することは不可能ではありませんでした。しかしそれならば、しかるべき手続きを踏み、従来の見解を自己批判、撤回した上でなすべきではなかったでしょうか。
 そういったことを在任中には何もしないでいて、辞めたあとになって間違った見解を示されるのは私たち関係者にとって非常に迷惑です。
 繰り返しますが、靖国神社は怨霊信仰ではありません。

 昭和59年、「伝統と現代」という雑誌の春季号で、国学院大学の三島健助教授が「靖国信仰の原質」という論文を寄稿し、大問題となったことがありました。
 三島氏はその中で、靖国神社が怨霊信仰であるかのような記述をしていました。
 これにたいして神社本庁が抗議をし、国学院大学が謝罪をするという事態になりました。さらに神社本庁は、三島助教授の授業を神職課程の履修単位として認めないという措置まで執り、国学院大学の学生たちは補習授業を受けなければならないはめとなりました。
 靖国神社は神社本庁の管轄外ではありますが、この神社本庁の抗議、国学院大学の謝罪といったやりとりに対して一切沈黙していました。

 余談ですが、こういうときに沈黙しているから靖国神社当局はダメなのだと思います。自分たちのことをネタにされ神社本庁まで乗り出しているというのに、どうして沈黙し続けたのでしょうか。本来は神社本庁の管轄外なのですからなおさらです。
 こういうあいまいな態度がいつも事態収束を長引かせるのです。だからこそ、私たちの存在意義があると自負しています。

 話を戻しますが、この事件の経緯(神社本庁が抗議し国学院大学が謝罪し、それを靖国神社が黙認していた)から考えても、靖国神社が怨霊信仰であることは完全に否定されたと断言して過言ではありません。
 もう一度繰り返しますが、靖国神社は怨霊信仰ではありません。





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