靖国神社 職員有志の主張 |
_ | 6.靖国神社は御霊信仰(怨霊信仰)ではない |
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小堀前宮司の文藝春秋誌上での手記について (平成30年11月25日) |
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時々、当神社のことを御霊信仰(怨霊を怖れて祀る信仰)と誤解している人がいるようです。 御霊信仰の神社としては、太宰府天満宮や将門神社などが有名であると思います。恨みの思いを抱きながら無念の死をとげた人間に対して、その祟りを怖れ神社を建立して神として祀り、祟りを鎮めるという神社です。 しかし、当神社の信仰はそのようなものではありません。 公務に殉じた戦没者も、「戦犯」呼ばわりされた昭和殉難者も、恨み心を抱いて無念の思いで死んでいったわけではありません。 皆、国家に殉ずる覚悟の上で、すがすがしい気持ちで死んでいったのです。 ここが大きな違いです。 _ もしも私たちが怨霊信仰者ならば、西南戦争の賊軍の将兵たちこそ祀らねばならないこととなります。国家に背き不届きな行為に走ったため討伐された輩こそ、怨霊となる危険性があると考えてしかるべきです。 しかし私たちはそういう考えではありません。私たちは怨霊信仰者ではありません。 当神社は国家のために殉じた者のみを祀る神社ですから、国家に背いた輩はたとえ怨霊になる危険性があろうとも祀りません。そういうことは他の神社にお任せしたいと考えています。 当神社の神々は、太宰府天満宮や将門神社の祭神のように怨霊を経てから神様になったのではなく、最初から神様なのです。 参拝者の皆さん方におかれては、戦没者の「祟り」なるものを怖れることなく、明るい気持ちで臨んでいただきたいと思います。 当神社には、将門神社や首塚のような祟りは全くありません。 むしろ逆に、「怨霊調伏」だとか「冥福を祈って追悼する」などといった見当違いの礼拝をするほうが、よっぽど神罰が下る恐れがあると思いますよ。 |